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2006年9月30日 (土)

猫は悩まない

「猫は悩まない 極楽に生きる処方箋」(板橋興宗著/時鐘舎)を読んだ。

猫は悩まない―極楽に生きる処方箋 Book 猫は悩まない―極楽に生きる処方箋

著者:板橋 興宗
販売元:時鐘舎
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物質文明に毒された考え方に囚われるのではなく、日本人に古来より備わっていた
自然と共に生きる心・精神を取り戻すことの大切さを説いた一冊。
平易な語り口調で書かれているので、読み終えるのにそんなに時間はかからない。
30分~1時間もあれば十分。
しかし、それと反比例した重みのある内容にあらためて考えさせられる。

欲望(物質文明)に支配されることなく、志を高く持って、
ありのままを受け容れて生きてゆく姿勢を想い起こすこと。

近頃、自分の中で曖昧模糊としていた想いが少しずつ具体的な考えに
まとまりつつあるが、それらが凝縮して出来上がった結晶を本著に見る思いがした。

たまたま本屋パトロールの際に「目が合った」本だけど、良い本に出会えて満足。

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2006年9月24日 (日)

阿弥陀堂だより

午後、久しぶりにDVDで「阿弥陀堂だより」を視聴した。

阿弥陀堂だより 特別版 DVD 阿弥陀堂だより 特別版

販売元:アスミック
発売日:2003/06/06
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何度見てもよい映画だ。
四季の移ろい、ベテラン俳優たちのしっとりとした演技。
自然と人が係わり合いながら、しっかり生きていくさまがよく表現されている。

北林谷栄演じるおうめ婆さんは、幾年月を地道に生きてきた老人のしたたかさと
揺るぎようのない心のさまが伝わってくる、素晴らしい演技。
演技というより、彼女こそおうめ婆さんそのものという感じ。

田村高廣演じる映画オリジナルの幸田先生は、禅の心や武士道精神に通じる
一本筋のとおった日本男児。
田村らしい訥々した演技の中に時折見せる厳しさが、
迷いを見せる主人公に指針を示す。

主人公を演じる寺尾聰、その妻を演じる樋口可南子らは言うまでもなくうまい。
淡々とした村の生活に溶け込みながら優しく妻のことを気遣う主人公(作家)を、
寺尾はさりげなく演じている。
心の病を抱えながら、それに向き合い、一歩一歩着実に歩んでいこうとする
健気で美しい妻(医者)を、樋口が静かに演じている。
(樋口可南子を映画で見るのは本当に久しぶり。)

阿弥陀堂だよりの主人公二人は、医者であり作家である原作者南木佳士の人格が
二つに分けられ投影された人物であることはご存知のとおり。
南木佳士の著作の中で、私が初めて読んだ作品が「阿弥陀堂だより」であり、
また彼の作品中でいちばん好きな小説もこの「阿弥陀堂だより」だ。
そういう意味でも思い入れのある映画だし、原作小説は最近の私の原点になっている
気がする。
小泉監督は日本人の自然観をうまく取り込み、きれいにまとめあげてくれている。
この映画には「雪月風花」がある。

(蛇足)
私と「阿弥陀堂だより」原作との出会いについて。
たまたま、本屋で文庫本コーナーをパトロールしていたとき(特に目当ての本が
なくても週に一度は必ず本屋を巡回している)、文春文庫の前で何か視線のような
ものを感じ、そちらを向いてこの本と「目」が合った。
まさに目が合ったという感じだった。(偶然にも映画公開直前!)
手に取っておもしろそうだったので購入し、一気に読んだ。
良かった。
人の生死について、厳しく、しかし優しい目で真っ直ぐに見つめる作品であった。
以後、南木佳士の作品(小説・エッセイ)にのめりこみ、購入できる著作を入手。
それと同時に、いまさらながら純文学に目を向けることになった。

阿弥陀堂だより Book 阿弥陀堂だより

著者:南木 佳士
販売元:文藝春秋
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Banner_03_51 ←ココロが癒されるひとときだった。

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MAJOR(メジャー)60巻!

一昨日に購入して読了。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、吾郎の活躍はほとんどない。
60巻の話の中心は寿也と美穂ちゃんのエピソード。
対キューバ戦大詰めのところで次巻につづく……。うううっ。
続きが待ち遠しい。

MAJOR 60 (60) Book MAJOR 60 (60)

著者:満田 拓也
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

昨日のアニメ版(2nd season 再放送)は第14話。
いよいよ海堂高校の夢島篇に突入。
シンプルに脚色はされているが、わりと原作に忠実にまとめられている。
海堂のマニュアル野球に挑む吾郎の真価やいかに!?

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2006年9月23日 (土)

涼やかな季節の到来

今日は秋分の日。
このあいだまであんなに暑かったのに、めっきり涼しくなりました。
心落ち着く季節の到来です。
秋の夜長に読書を楽しむもよし。月を愛でながら酒を呑むもよし。
秋の味覚を腹いっぱい食べるもよし(?)。
松茸、秋刀魚、栗、柿、銀杏、……。(すべて国産品を所望!)
なんか楽しみがいっぱい。
でも国産の松茸を食べる機会は得られないのだろうなあ。

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2006年9月22日 (金)

「ある日どこかで」のテーマで復活?

先週はけっこう落ち込んだ一週間だったけど、今週持ち直すことができたのは
「ある日どこかで」のテーマを思い出し、何度も聴いたからかも。
とても心が癒され、安らぐことのできる、優しくて美しい曲。

「ある日どこかで(Somewhere in Time)」日本語サイトの"SIT Whole Story"を
クリックするとBGMとして流れていますので一度聴いてみてください。
こちら↓ こちら↓
http://www.ueda.ne.jp/~peg/

弊ブログでも「ある日どこかで」を取り上げたことがあるので
興味のある方はご覧ください。
ここ↓ ここ↓
http://vagrant-soul.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/somewhere_in_ti_7585.html

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2006年9月17日 (日)

闇の誘いと光明

ココロが文字どおり折れそうになると、家族以外の誰とも話したくなくなる。
たとえそれが仕事であろうと、他人に会うことがわずらわしくてイヤになってくる。

精神が限りなく「引きこもり」状態に近くなっているのかもしれない。
または、無気力症候群かコミュニケーション不全症候群の初期なのかもしれない。
要するに、退行現象に陥っているのだ。

このままどこかへ出奔してしまおうか?
それとも、この世とのつながりを自ら絶つか?
心の闇に支配されそうな自分をなんとか思いとどまらせているのは、
家族や友人たちとのツナガリを感じている自分がいるから……。
そんな気がする。
とても微妙なバランスの上に、かろうじて自分が在ることを再認識。

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2006年9月10日 (日)

折れるな、ココロ

人生をそれなりに生きてくると、ただやみくもに突っ走ることは減り、
逆に、反芻してばかりで前に進めないことが多くなってくる。
いったい自分は、今、何をやっているのか?
これから何をやっていきたいのか?
こんなことでいいのか?
懐疑的な思考の螺旋にはまってしまうと、ますます進まなくなってしまう。

そんなとき、自分に言いきかせる。
自分という存在は、自分以上でも自分以下でもない。
今ここに在る、ありのままの自分を受け容れるしかない、と。
そこからしか次には進めないのだ、と。

どうも最近、滅入ることが多く、弱気になっている自分。
心が折れてしまいそうな状態に在る自分。
平静を維持することって、けっこう微妙なバランスの上に成り立っているのだなあ。

自分に対しても、他人に対しても、
ありのままを受け容れる心の広さと懐の深さを持ちたい、
と思う今日この頃。

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2006年9月 9日 (土)

涼月

昨夜のお月さまが妙にすがすがしくきれいだったことを思い出し、
「こよみ」で調べてみたら9月8日は十五夜、満月だったのだ。
どうりで。納得。

秋の空に姿をみせる月は美しい。
涼やかで、心が落ち着く。
The cool moon is beautiful in the still of the night.

ところで、知らない間に「月のこよみ(月齢表)」は新聞から消えていたのね。
昔は天気予報欄に掲載されていたのに。
日本から「粋」が失われ、「無粋」で「野暮」な人で溢れるのも仕方ないか。

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2006年9月 3日 (日)

自分の脚で歩くこと

今日の昼どきは家内と一緒に少しだけ散歩。
自宅から嵐山の渡月橋まで、途中のみやげもの屋さんを覗きながら
のんびり気ままに小一時間のウォーキング。下駄を履いて、カランコロン、と。
抹茶とほうじ茶のミックスソフトクリームを食した後、
嵐電(らんでん:京福電鉄嵐山線)の嵐山駅の足湯(150円/人)に浸かって休憩。
帰りは嵐山→嵯峨駅前→鹿王院を嵐電に乗って優雅に帰還。
昼ごはんは「冷たいそば」で爽やかに済ませ、3時にはコーヒーブレイク。
アイスコーヒーに最適の「アフリカの夜(by カフェタイム)」を
手動ミルで挽いて味わう。

自分の脚で、自分のペースで、周りの風景をながめながら歩くことって大事だな、
とつくづく思う。
車での移動は便利で楽だけど、途中で道草を食う楽しみがない。
おや、こんなところにこのような店がいつの間に、とか、
おお、新しくてきれいな家が知らない間に建っている、とか発見することが多い。

自分のやり方や自分のペースを見直す意味でも、
自分の脚で歩くことは大切なのではないか、と思う今日この頃。

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2006年9月 2日 (土)

人のふり見て我がふり直せるかな?

人間にプログラミングされたロボットは、外部からの情報(インプット)が同じなら
同一のリアクション(アウトプット)を繰り返す。
ところが、人間の場合はそうはいかない。
同じ状況・情報を与えられても、個々人によって反応は異なってくる。
きわめておもしろい。

例えばこんなこと。
<例>自分は、何か客商売に従事しているとしよう。
   スーパーでも電気屋さんでも車のディーラでも不動産売買でも、何でもよい。
   そういう仕事をしていると、時に、困ったお客さんに出遭うことがある。
   クレーマーとはいかないまでも、ちょっとした無理難題を主張する、
   そんな困ったお客さん。そういうお客さんに対処したことのある人が、
   逆に、自分が客の立場になった時にどういう行動をとるかということ。

 ◆Aさんの場合
    客の立場を利用し、お店の人に対して不当に無理を強いることのないよう
    注意しよう。自分が味わった嫌な思いを、他人に与えることのないように。

 ◆Bさんの場合
    お客様は神様である。この絶対的優位を利用して、せいぜいこちらの主張を
    通してやろう。自分も我慢したのだから、お店の人が耐えるのは当然である。
    思いっきり客の立場を利用させていただこう。

だいたい、AさんかBさんか、どちらかのパターンにあてはまるのではないかと思う。
この違いって、どこから生じてくるのだろう?
持って生まれた性格? 後天的に得られた性格? それとも、育った環境?
与えられたインプットが同じでもアウトプットが同じになるとは限らない、
人間の心理(真理か?)っておもしろい。

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