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2006年5月 7日 (日)

志学・而立・不惑・知命・耳順

黄金週間最後の日は、あいにくの雨。
風邪が完治していない身としては一日中家でおとなしくしているしかなく、
雨のおかげで心静かに過ごすことができた。

降り続く雨は、夜の静寂をともなって、辺りに闇を呼んでくる。
ひっそりと静まりかえった居間で、なんということなくぼんやり考えていると、
ふと、論語から出たある言葉を想い出した。
すなわち、「志学・而立・不惑・知命・耳順」。

新明解国語辞典第六版(三省堂)によると、論語を出典とする語として
次のように説明がなされている。
  ・志学:学問に志す意。「十五歳」の異称。
  ・而立:三十にして立つ意。「三十歳」の異称。」
  ・不惑:四十にして惑わずの意。「四十歳」の異称。
  ・知命:五十にして天命を知る意。「五十歳」の異称。
       天職と自己の能力の限界とを共に悟る年齢。
  ・耳順:六十にして耳順(したが)う、すなわち、何を聞いても、
       すなおに受け入れる意。「六十歳」の異称。

後世の者を諭すために、孔子は貴重な言葉を残された。
出来そうにみえて、その実、簡単に成すことはできない
非常に難しい理想を指し示した言葉だ、と私は思う。
さまざまな誘惑に打ち勝って学問を志すことは、十五歳には難しいだろう。
三十歳、その時点で自立(而立)できている人がどれほどいるだろうか?
四十歳、人生半ばにして迷う(惑う)ことばかりで、己の行く末に確信を持てる者が
果たしているだろうか?
五十歳、天命に副うことのできる自分を形づくることができているだろうか?
六十歳、人生長い頑固者がすなおに他人の意見を聞き入れることができようか?

考えれば考えるほど、深く、重く、ちっぽけな心にのしかかってくる。
天と地のはざまで、人はいったい何ができるのだろうか?

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