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2006年5月22日 (月)

白洲正子"ほんもの"の生活(新潮社)

白洲正子“ほんもの”の生活 Book 白洲正子“ほんもの”の生活

著者:白洲 正子,赤瀬川 原平,青柳 恵介,前 登志夫
販売元:新潮社
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当代一の目利き、"ほんもの"を知る唯一の人といわれた白洲正子の姿を追い、
白洲正子はいかにして白洲正子になったのかの謎を探る一冊。
24頁目、「どうすれば"もの"がわかりますか」という問いかけに対する白洲の言葉が
とても興味深い内容だ。以下は同書よりの引用。

(前略)......はっきり言えるのは、私には自分が好きなものは実によくわかるという
ことだけ。もちろん客観的な評価として、そのものが一級品かどうかはわかります。
でもどれほど名品であろうと、欲しくないものは欲しくない。
人間を例にとってみましょう。たとえば非のうちどころがなく立派な王侯貴族と
いえども、付き合うのは嫌という人がいるではありませんか。
"もの"との付き合いもそれと同じ。......(中略)......
心があるのは人間だけではないと、つくづく思うの。姿かたちという外側を見るだけ
でなく、"もの"を芯まで見ていくと、器や花にだって心があります。それは言葉では
説明しきれないものだけど、陶器を見ていて「やっ、こいつは魂を持っていやがる」
と思うものが確かにある。人間と同じで、魂というものはつかみどころがない。
でも、あるということは感じられますね。人でも、絵でも、書でも。
では、どうしたら"もの"がわかるか、という質問に簡単に答えるとしたら......。
まず長い間それと付き合うこと。人のものを見てばかり、人に訊いてばかりはダメ。
自分が"もの"と付き合うこと。......(以下略)......

なるほど、と納得させられる説得力のある言葉だし、とても共感できる内容だ。
無銘の"もの"でも心のあるものは存在するし、
在銘の"もの"でも価値のないものはいくらでもある。
また、在銘の品(orブランド品)を持つに値しない人間であるということに
気付いていない人も......。
自分は果たしてそうでないと言い切れるか?
"もの"を買うとき、それを所有する資格があるのかどうか、いつも自問する。
答えは......たいてい"不明"だ。情けないけれど......。

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