2006年5月29日 (月)
2006年5月28日 (日)
「BSアニメ夜話Vol.01ルパン三世カリオストロの城」ほか
「うちの3姉妹」以外で、昨日と今日に購入した本の数々。
(あいかわらず脈絡のない、不節操な買い方。)
◆「BSアニメ夜話Vol.01 ルパン三世 カリオストロの城」
テレビ放送時にカットされた対談箇所も収録(掲載?)されたムック本。
内容は深くて濃い。そして、おもしろい。
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BSアニメ夜話 (Vol.01) 販売元:キネマ旬報社 |
◆「いただきます。 きもちも和む精進ごはん」
精進料理にこめられた心が綴られたエッセイ。42品のレシピ紹介がうれしい。
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いただきます。―きもちも和む精進ごはん 著者:藤井 まり |
◆「ブックカフェものがたり」
おいしいコーヒーを飲みながら、好きな本をゆったりと読めるブックカフェ。
ちょっと贅沢で、至福のひとときを演出してくれる空間。
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ブックカフェものがたり―本とコーヒーのある店づくり 著者:矢部 智子,今井 京助 |
◆「はじめての和装本 身近な道具で作れます」
年賀状や絵はがき、クリスマスカード、新聞や雑誌の切り抜き、
心に残る数々の写真、旅の記念、切手や箸袋など、
身の回りのものをオリジナルの装丁で自ら1冊の本にまとめるぜいたく。
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はじめての和装本―身近な道具で作れます 著者:府川 次男 |
◆「晩年の美学を求めて」
帯から抜き書き、
「老年まっただ中の著者が贈る高齢化社会の新しい人生論
老年のいきいきとした幸福の見つけ方」
「他人の好意にすがらないこと。
孤独との付き合い方。「分相応」を知ること。
単純労働の重い意味、人の世の奥行きを知る豊かさ」
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晩年の美学を求めて 著者:曽野 綾子 |
2006年5月27日 (土)
「うちの3姉妹」を購入した!
「うちの3姉妹」(主婦の友社/松本ぷりっつ著)を本日購入した。
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うちの3姉妹 著者:松本 ぷりっつ |
本書は、超人気ブログ「うちの3姉妹~マンガで見る今日の出来事~」から
より抜いて一冊の本にまとめたもの。
帯には、「アメーバブログ新人賞受賞!
うわさの爆笑人気ブログいよいよ単行本化!!」と書かれている。
◆長女 フーちゃん(5歳) あだな=おっぺけぺ
◆次女 スーちゃん(3歳) あだな=自由人
◆三女 チーちゃん(1歳) あだな=社長
最近ブログの存在を知って、家内ともどもブログ訪問を楽しんでいたのだが、
傍若無人、天衣無縫、唯我独尊、と言ったらいいのか、最高にユニークな3姉妹の
予想できない行動パターンとエピソードの数々に癒される。
まずはブログを覗いてみてください。本当に心が和みます。
今もPC作業をしている私の横で、鼻でクスクス笑いながら家内が本書を読んでいる。
おい、買ったのは私だゾ!
2006年5月24日 (水)
「山月記」~孤高の虎~
いつだったか、澄んだ夜空の涼しげな月を観て「山月記」を想い出した。
中島敦の作品の中ではいちばん好きな作品だ。
「山月記」は音読すると格調高い文章を更に味わうことができる。
漢文調のリズム感ある文体は読んでいて小気味良く、詩的ですらある。
己の臆病な自尊心のために虎になってしまった李徴の姿には、
芸術家(詩人、文筆家、音楽家などあらゆる創作者)の苦悩を見ることができる。
短い物語だが、言いたいことがストレートに無駄なく凝縮された佳作であると思う。
人間の弱さをえぐリ出し描写することで、読者に自分自身を見つめさせる。
ただそれだけのものなのだが、真に心に迫ってくるものがある。
自分の弱さや短所を指摘されることはあまり気分のよいことではないが、
それを確認して受け入れることは大切であると諭されているようだ。
描写される世界の向こうに読者を引き込み、そして考えさせる、
とても純文学らしい作品だと思う。
臆病な自尊心のため、欠点の指摘を惧れて他者との交わりを断った李徴は虎になる。
人との接触を断つ、つまり社会性を失った結果、孤高の虎になってしまうのである。
人はひとりでは生きていけない、とは誰の言葉だったか?
空威張りする人、尊大に振舞う人、格好ばかり気にする人、利己的な人。
人はひとりでは弱いけれど、こういう類の人はその中でもさらに弱い人たちだ。
他者との間に壁を設け、自分の殻の中に閉じこもっていれば、
常に自分が正しい存在であることができる。しかし、それではダメだ。
客観性を得るため、他者と相互につながる(コミュニケートする)ことが必要。
その勇気を持つことで、人は強くなり、より大きな存在へと脱皮できるのだと思う。
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李陵・山月記 著者:中島 敦 |
2006年5月23日 (火)
戦後最悪の移民計画
報道ステーションで「日系ドミニカ移住訴訟」が取り上げられていた。
戦後最悪の移民計画と言われたドミニカ移住は、楽園を夢見た日本人に
償うことのできない悲劇を与えた。
祖国である日本に裏切られた移住者たちの気持ちは量りしれない。
心の拠りどころとしていた祖国から見捨てられた悲しみは、いくばくのものか?
思わず憤りをおぼえた。
国をあげての移民事業を指して、国策ではないなどと苦しい言い逃れをするな!
国家的規模でペテンにかけたことを認めろ!
来月6月7日に「祖国の裏切り」に対する一審判決が下される。
くしくも、7月29日は日本人最初のドミニカ移住からちょうど50年にあたる。
明るい気持ちで迎えることができればよいのだが......。
2006年5月22日 (月)
白洲正子"ほんもの"の生活(新潮社)
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白洲正子“ほんもの”の生活 著者:白洲 正子,赤瀬川 原平,青柳 恵介,前 登志夫 |
当代一の目利き、"ほんもの"を知る唯一の人といわれた白洲正子の姿を追い、
白洲正子はいかにして白洲正子になったのかの謎を探る一冊。
24頁目、「どうすれば"もの"がわかりますか」という問いかけに対する白洲の言葉が
とても興味深い内容だ。以下は同書よりの引用。
(前略)......はっきり言えるのは、私には自分が好きなものは実によくわかるという
ことだけ。もちろん客観的な評価として、そのものが一級品かどうかはわかります。
でもどれほど名品であろうと、欲しくないものは欲しくない。
人間を例にとってみましょう。たとえば非のうちどころがなく立派な王侯貴族と
いえども、付き合うのは嫌という人がいるではありませんか。
"もの"との付き合いもそれと同じ。......(中略)......
心があるのは人間だけではないと、つくづく思うの。姿かたちという外側を見るだけ
でなく、"もの"を芯まで見ていくと、器や花にだって心があります。それは言葉では
説明しきれないものだけど、陶器を見ていて「やっ、こいつは魂を持っていやがる」
と思うものが確かにある。人間と同じで、魂というものはつかみどころがない。
でも、あるということは感じられますね。人でも、絵でも、書でも。
では、どうしたら"もの"がわかるか、という質問に簡単に答えるとしたら......。
まず長い間それと付き合うこと。人のものを見てばかり、人に訊いてばかりはダメ。
自分が"もの"と付き合うこと。......(以下略)......
なるほど、と納得させられる説得力のある言葉だし、とても共感できる内容だ。
無銘の"もの"でも心のあるものは存在するし、
在銘の"もの"でも価値のないものはいくらでもある。
また、在銘の品(orブランド品)を持つに値しない人間であるということに
気付いていない人も......。
自分は果たしてそうでないと言い切れるか?
"もの"を買うとき、それを所有する資格があるのかどうか、いつも自問する。
答えは......たいてい"不明"だ。情けないけれど......。
白洲正子さんに興味を持たれた方は、ぜひクリックを!
↓↓↓
2006年5月21日 (日)
大宮交通公園でゴーカート
今日は用事で忙しい妹をサポートするため、姪っ子(小5)と甥っ子(小2)のお相手。
といっても、そんなたいしたことではない。
昼ごはんを一緒に食べて、エネルギーを発散する場所を選定・吟味のうえ提供し、
夕方妹宅へと送り返すといったもの。
さて、エネルギー発散の場として今回は大宮交通公園を選んだ。
◆大宮交通公園◆
「大宮交通公園は,子供が楽しみながら交通知識や交通ルールを
身に付けることが出来るように作られた公園です。」
とあるように、公園内には信号機を配した道路が整備されており、
そこを交通法規に従ってゴーカートで遊べるようになっている。
ゴーカートの利用料金はとても安く設定されており、この手の遊具が好きなお子達には
好評を博しているようだ。(何回も乗りたい子は特に!)
・一人乗り:200円(小3以上~中学生まで)
・二人乗り:250円(小2以下+大人)
昼ごはんの後に小一時間遊んだだけだが、暑い一日だったのでけっこうへばった。
帰りに実家に寄って、母が用意しておいてくれたアイスクリームを食す。
おかげで息を吹き返すことができた。ふうー。v(>o<)v
ゴーカート好きのあなた、どうか1クリックを!
2006年5月20日 (土)
写真で見る京都今昔
昨日に続き、京都本ネタ。
「写真で見る京都今昔」(著者:菊池昌治/発行:新潮社)
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写真で見る京都今昔 著者:菊池 昌治 |
この百年足らずの間に京都がどれだけ変貌したかを知ることができる貴重な写真の
数々が掲載されている。おもしろい。
平安の都が、近代化の波にのみこまれていくさまを辿っていくことができる。
例えば、嵐山の渡月橋は、明治の初め頃までは洪水のたびに何度も流出したそうで、
仮橋はひと一人がやっと通れるほどのものだったそうだ。
明治20年(1887年)ごろに木造の橋が架けられ、現在の欄干のみ木製である
コンクリート製の橋が出来上がったのは昭和9年(1934年)のことらしい。
とても興味深い。
これからも京都の街は、かつての平安京は、どのように変貌していくのだろう?
さて、ここで告知です。
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2006年5月19日 (金)
歴史都市・京都から学ぶ
「歴史都市・京都から学ぶ
ジュニア日本文化検定 テキストブック」(京都新聞出版センター)
を、本屋で見かけて買った。
小学生でも理解できるよう作成された本書は、大人でも十分に楽しめる代物。
わかりやすくて、たいへん勉強になる。
細かく分けられたカテゴリー毎にポイントを押さえた構成と内容は、
よく練りこまれて旨みが凝縮している感じ。
分類分けを以下に紹介すると、巻頭から順に...
◆巻頭/歴史/寺院・神社/祭りと行事/町並みと道/文化/産業/知とスポーツ
/暮らしと食/環境と自然/観光/歴史年表/人物/博物館一覧◆
という具合い。
興味のわくところから読めばよいし、実際どこから読んでもおもしろい。
<京ことば>を紹介している部分を例にあげると...
標準語「何してるの?」
関西弁「何してるん?」
京ことば「なにしたはるの?」
尊敬語の使い方やニュアンスもおもしろい。
標準語「車に乗っておられる」 → 京ことば「車に乗ったはる」
友達や子供の行動に対しても、京ことば敬語を使うことが実際よくある。
というより、しょっちゅう使っている自分に気づく。
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ジュニア日本文化検定テキストブック―歴史都市・京都から学ぶ ジュニア京都検定 販売元:京都新聞企画事業 |
2006年5月16日 (火)
25億秒の軌跡
人生80年(寿命80年)と仮定しよう。
→ 80[年]=365×80[日]=29,200[日]
→ 29,200[日]=24×29,200[時間]=700,800[時間]
→ 700,800[時間]=60×700,800[分]=42,048,000[分]
→ 42,048,000[分]=60×42,048,000[秒]=2,522,880,000[秒]
以上のように、人生80年はたったの25億秒ということ。
25億秒!!
生まれてから死ぬまで、飲まず食わずで1秒毎にカウントできたとしても
たった25億しか勘定できないということだ。
私を含めて、人は一生25億秒の生涯でどのような軌跡をたどるのだろう?
意味のある25億秒にできればよいのだが。果たして...。
2006年5月15日 (月)
2006年5月14日 (日)
気になる言葉
普段から気になっている言葉を覚え書きとして列挙。
備忘録。
不羈奔放(;freedom from all)
自由と孤独を愛する旅人(;a traveler who loves freedom and solitude)
明鏡止水(;a mind as serene as a polished mirror or as still water)
(;a mind undisturbed by evil thoughts)
無念無想の境地に至る(;attain a serenity of mind
free from all distructing thoughts)
静かな川は水が深い(→考えの深い人は物静か)。(;Still waters run deep.)
夜の静寂(;in the still of the night)
原点(;starting point)
不動の信念(;firm faith)
真理の探究(;the pursuit of truth)
思索(;thinking or speculation or contemplation or meditation)
もろきものよ、汝の名は女なり。(;Frailty,thy name is woman.)
褒章,褒賞,報奨,報償(;medal,prize,bonus,compensation)
最後は似通った言葉でややこしいので整理したかっただけ。
2006年5月13日 (土)
MAMAIKUKOのマグカップ
雨のため家でのんびりと過ごしている。
特に出来事らしきこともないので、今日は日ごろから愛用している品を少し紹介。
まずは「MAMAIKUKOのマグカップ」。
ゆったり、のんびり、コーヒーを飲む時に主に使っている。
丸みのあるシンプルなデザインがお気に入り。
続いて、「ペンギンの楊枝立て」。
手前におわす「ラッキー豚のコースター」は、食事の際使うレギュラーコースター。
踏み台代わりに使っている椅子の足元を守る「黒猫くん4匹」。
玄関で出迎えてくれるのは「トトロのぬいぐるみと置物たち」。
ぬいぐるみはゴールデンウィークにダイヤモンドシティハナで購入したもので
家内のお気に入り。(写真はボケてしまった)
本日最後の紹介は「MAMAIKUKOのペンケース」。まだ実際には使っていない。
MAMAIKUKOのデザインは、以前から何か心に響くものがある。
何故だろう?
なお、ペンケースの向こうに見えているのは愛用している「あひるの箸置き」。
2006年5月12日 (金)
ターシャ・テューダー特集
ダ・ヴィンチ6月号の特集は、当ブログでも2006年1月22日・23日に
取り上げたことのある「ターシャ・テューダー特集」。
「ターシャ・テューダーの言葉」が少しずつ紹介されていること、
また、ダ・ヴィンチ オリジナル・インタビューが掲載されているなど、
なかなかうれしい企画が満載。
ターシャ流で人生を楽しむ姿に、ほんと、あこがれる。
老齢になっても生き生きと過ごせることは素晴らしい。
見習わなければ。
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ダ・ヴィンチ 2006年 06月号 [雑誌] 販売元:メディアファクトリー |
2006年5月 7日 (日)
志学・而立・不惑・知命・耳順
黄金週間最後の日は、あいにくの雨。
風邪が完治していない身としては一日中家でおとなしくしているしかなく、
雨のおかげで心静かに過ごすことができた。
降り続く雨は、夜の静寂をともなって、辺りに闇を呼んでくる。
ひっそりと静まりかえった居間で、なんということなくぼんやり考えていると、
ふと、論語から出たある言葉を想い出した。
すなわち、「志学・而立・不惑・知命・耳順」。
新明解国語辞典第六版(三省堂)によると、論語を出典とする語として
次のように説明がなされている。
・志学:学問に志す意。「十五歳」の異称。
・而立:三十にして立つ意。「三十歳」の異称。」
・不惑:四十にして惑わずの意。「四十歳」の異称。
・知命:五十にして天命を知る意。「五十歳」の異称。
天職と自己の能力の限界とを共に悟る年齢。
・耳順:六十にして耳順(したが)う、すなわち、何を聞いても、
すなおに受け入れる意。「六十歳」の異称。
後世の者を諭すために、孔子は貴重な言葉を残された。
出来そうにみえて、その実、簡単に成すことはできない
非常に難しい理想を指し示した言葉だ、と私は思う。
さまざまな誘惑に打ち勝って学問を志すことは、十五歳には難しいだろう。
三十歳、その時点で自立(而立)できている人がどれほどいるだろうか?
四十歳、人生半ばにして迷う(惑う)ことばかりで、己の行く末に確信を持てる者が
果たしているだろうか?
五十歳、天命に副うことのできる自分を形づくることができているだろうか?
六十歳、人生長い頑固者がすなおに他人の意見を聞き入れることができようか?
考えれば考えるほど、深く、重く、ちっぽけな心にのしかかってくる。
天と地のはざまで、人はいったい何ができるのだろうか?
2006年5月 6日 (土)
百鬼夜行抄(14巻)
初めて迎えた父の月命日である5月4日、私は発熱した。
38度をやや超える熱だったため、昨日、本日と安静の日々が続く。
つまらん。本屋へ出歩くこともままならぬなんて。
おかげで、「チェオクの剣」のDVDは第9話まで見終えることができたし、
「百鬼夜行抄」についても1巻から最新刊までざっとおさらいすることができた。
「百鬼夜行抄」今市子先生の絵のすごさにあらためて感心。
1巻から最新14巻まで、ほとんど変わらぬクオリティの高さに驚きのひとこと。
この作品、飯嶋家の人々の描かれ方がとてもユニークでおもしろい。
向こうの世界に対するつきあい方が兄弟姉妹によって大きく異なる点や、
そのリアクションがとてもおもしろいのだ。
見えなくてよい世界が見えてしまう人たち、飯嶋の血筋。
それと正直に向き合っていこうとする人と、
何も「見なかった」ことにして気にしないようにする人。
この対比が出てくるシーンには、いつも笑わされてしまう。
熱も36度3分に下がった。
だいぶましになった感じだが、少し昼寝するとしよう。
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百鬼夜行抄 (14) 著者:今 市子 |
2006年5月 3日 (水)
ハナミズキの季節
天気が良かったので、今日の昼間、家内の実家まで自転車で行った。
嵯峨広沢の自宅から御室までは自転車だと約20分てところか?
道中、登りで少々つらい箇所もあるが、まあまあこなせるレベル。
少し疲れたけれど。
帰りの道すがら、御室の仁和寺に寄って境内を少しだけ散歩(無料のエリアだけ)。
残念ながら御室の桜は散った後で、ところどころに葉桜が残っている程度だった。
もうハナミズキの季節だものね。
ウッカリしている間にハナミズキは、家々や街頭のところどころに
赤やピンクや白の美しい花をつけて咲き誇っていた。
ハナミズキは、春には花を、夏には緑豊かな葉を、秋には紅葉を、冬には枝ぶりを、
と一年中楽しめる花木。
街なかの交差点などで植えられているところも多い。
双ケ丘の本屋で、「百鬼夜行抄(今市子著)」の14巻と「ふたつのスピカ(柳沼行著)」
の10巻と「ナッちゃん(たなかじゅん著)」の18巻を購入して帰る。
連休中の課題(暇つぶし)が、また増えてしまった勘定だ。
ささやかな「し・あ・わ・せ」。
2006年5月 2日 (火)
おそるべし猫耳
昨日、家内と一緒にダイヤモンドシティ・ハナへ買い物に行ったときのこと。
同じフロアーではあるが、私は文房具コーナーへと向かい、
洋服or鞄コーナーを目指す家内とは少し距離を隔てる位置関係となった。
おや? こっちにも鞄があるゾ、と気づいた私は家内の名前を呼ぶが、
数十メートル離れたところからでは家内の耳に届かない。
一計を案じた私は、家内の方へ向かって手を二回叩いた。パン、パン、と。
すると、よそさんは誰も気にも留めていない様子の中で、
家内だけがクルリと振り返ってこっちを向いた。
再度、同じような状況のときに、同じように二回手を叩くと、
やはり家内だけが気づいて振り返ってくる。
どうやら、うちの家内には「猫耳」が備わっているようだ。
猫好きが高じて「猫耳」まで体得したのか? 不思議だ。
これからはせいぜい、「猫耳」の能力を利用させていただくとしよう。
2006年5月 1日 (月)
チャン・ソンベクの言葉
「チェオクの剣」第一回の冒頭のシーン(実はこれが最終回のクライマックスに
つながるシーンなのだが)、追っ手である捕盗庁の長官チョ・セウクたちに向けて
チャン・ソンベクが言い放つ台詞が、印象的で心に迫るものがある。
曰く、
「道というものは、最初からあるものではない。
一人が歩き、二人が歩き、多くのものが歩いたそののち、初めて道となるのだ。
この腐れ切った世に、私は新たなる道を作ろうとしたにすぎぬ。
私は今日ここに骨を埋めるが、私が亡き後も多くの民が
道を作るためここを歩くだろう。
この先いつの日か民の血と魂が峡谷を埋め、川を満たし、必ずや新たなる道を
新たなる世を切り開くはずだ。
たとえ我が命尽きようとも、その魂だけは断じて死なぬ」
と。
DVDプレミアムBOXで改めて見直しているが、やっぱり良いものは良い。
己の志の低さや自分勝手に、思わず赤面してしまう。
少しは志を高く持って、真摯に生きてゆきたいものだ。
「發墨」という言葉の裏の意味(真の意味)も忘れないで精進せねば。
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